日本人全体で言えることなのですが、英語ニガテですよね。
うちの団員は、ニガテを通り越して、英語の曲を見るだけで病的に拒否反応を示す人が数人います。

我々のなかでは英語アレルギーと呼んでますが、楽譜を見るだけで身体が拒否するので、発音もできなければ暗譜にも人の数倍苦労するわけです。当然曲の意味を理解することは論外なので本人も楽しいはずはないですね。

ただ、不思議なのは同じ外国語でもドイツ語やラテン語などにはアレルギー反応がないようなのです。どうも英語だけに特別なトラウマがあるようです。

実際、昨年は台湾で中国語の演奏をしてきましたが、英語アレルギーの人らでさえも、拒否するどころか日本語並みに自然に暗譜までできていました。

もちろん、漢字なので馴染みがあって意味も何となく分かりやすいというのもありますが、発音は初めてですから本来であれば落伍者が多数いてもおかしくないはずでした。

となると、英語にだけ嫌~な気持ちにさせる要素があるのでしょう。ここからは私の持論になるのですが、やっぱり育ってきた環境に左右されると思っています。


①英語教育において、適切な先生に出会えなかった。

日本の学校では、英語は読み書き中心です。特に我々昭和世代にはヒアリングなどというものは、試験にありませんでした。授業も先生が英文を読み上げて、適当に訳して終わり、みたいな内容で全くおもしろくなかったです。

こんな授業では英語を学ぼうという気になりませんし、関係代名詞やら過去完了やら、日本語としても理解できないような用語や文法が出てきます。
結果、欧米では幼児でもしゃべっている英語を、日本では中学生の段階で早くも挫折して、ワケがわからなくなる人が続出するのです。

しかし、そんな学生でも欧米に1年も留学すれば、なぜか日常会話はペラペラとしゃべれるようになりますし、国内でいても外国人の優秀な先生は、こ難しい日本語無しで日常会話くらいは学ばせることができるのです。

日本の英語教育のひどさは、昔から言われていることです。中・高・大学と10年勉強しても挨拶すらできない人が大半で、そのことがまたコンプレックスになってしまうのです。
外国語を日本語で考えるというところから直さないと、国際的に今以上に遅れた国になることでしょう。

②育った環境が英語とは縁遠すぎた。

残念ながら地方の田舎よりは都会のほうが、はるかに英語に接する機会が多いです。都会ではクラスメイトに外国人や帰国子女がいる割合が高く、彼らとコミュニケーションするには英語を使わざるを得ません。
また、ミッション系の学校やキリスト教徒もたくさんいるので自然と欧米文化や習慣に交われます。

さらに都会の裕福な子供は、ハワイやオーストラリアなどに遊びに行き、外国人や英語に触れる機会が多いのですが、田舎では長期休暇やボーナスをがっぽりもらえる大企業サラリーマンの子供はほとんどいないので、旅行するとしても東京ディズニーランドどまりなのです。

もっと突っ込むと、都会では英語を使ってビジネスをする親も多いので、子供も自然と英語が身につきます。田舎では、外国語を使う仕事はごく少数なので、子供も学校の授業以外では英語に接することができません。

以上のように、生まれ育った環境によって英語の習得に差が出るのは当然のことで、田舎合唱団である我々が英語がニガテなのは、ごく当然なのだと思います。

③合唱指導者の指導方法

これは特定の誰かということではなく、伝統的に行われてきた合唱の英語指導法が間違えてないか、と個人的に思っています。気を悪くされる先生もおられると思いますが、あくまで私個人の意見なのでご容赦下さい。

発音のこと
発音やアクセントを揃えるのは、響きを揃えることなので大切なことなのですが、アマチュアの合唱団においては、それが必ずしも厳密にネイティブとそっくりである必要はないと思っています。

インドネシアやフィリピン人などが話す英語は、欧米人とは違ってますが、ちゃんと会話が成立しています。国際連盟やWHOなどの総長は欧米人でないこともあり、日本人のカタカナ英語みたいな発音ですが、十分世界に通用しています。

つまり、イギリスだからこう発音せよ、とか昔のアメリカだからこのように訛って発音すべき、というこだわりを”絶対にこうでなくてはならない”ように強要すると、人によっては、ただでさえニガテな英語を脳がブロックし、思考停止させてしまうのではないでしょうか。

私はかつて、ラテン語の権威ある評論家が某雑誌のコンクールの批評で、発音のことで入賞団体をコキ下ろしている文を見て残念に思いました。

ラテン語など、今は誰もしゃべっておらず、学者が「こうだったはず」と想像で作り上げた発音にも関わらず、そのことを、さも重大な間違いのように取り上げるのはいかがなものか。
音楽なのだから、そんな重箱の隅をつつくような批評はせず、もっと声とかハーモニーや表現力を重視してほしいと思いました。

私であれば、日本語が下手な外国人の合唱団でも、日本の歌を歌っていただけた時点でとても感動しますけどね。

歌詞の意味のこと
英語アレルギーの人は、発音するだけでも大変なので、意味など理解する余裕はありません。
重要な単語と全体の意訳は示してあげる必要がありますが、細かい逐語訳や文法などは彼らにも必要ありません。

ただ、指揮者やパートリーダーは、逐語訳を理解して表現に幅を付けることは重要です。
あくまで英語アレルギーの人に強要するのは、逆効果ということです。

暗譜
なんといってもこれが一番拒否反応を起こしやすいです。日本語の歌は、練習している間に自然と記憶できますが、英語は気合入れて覚えないと、なかなか覚えられません。

楽譜があれば歌える曲でも、暗譜せよとなった途端に嫌~な気持ちになるのは私でも理解できます。また年齢とともに記憶力は衰えるので、合唱歴が長ければ暗譜力が高くなるというわけでもありません。

私は細かい発音についてはアレルギー者に寛容ですが、実は暗譜推進派でして、覚えこんで身体に馴染ませた曲は、資産になると思っています。

ですから、英語アレルギーの人でもその資産を増やしていけば、次の曲に応用ができ、徐々にニガテ意識も和らぐものと考えています。

このことは、なかなか理解できない人もいるでしょうが、指導者が団員各々の実力向上のために覚えるよう、指導者として何度も説明をしていこうと思っています。


「グリークラブ香川の英語曲は英語に聞こえない」という言葉を何度も聞かされましたが、それは当然です。なぜなら、指導する私などがネイティブではないからです。

私たちがやることは、発音を揃えて、美しい響きを奏でることです。モノマネを強要することで、脱落者を増やし、本来楽しいはずの英語の歌を嫌いにさせないためにも、そろそろ今までの古い常識を見直す時かもしれません。